熊野古道
日本
歩く距離・日数中辺路84km、5日間
基本情報
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特徴
熊野古道は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社を総称する「熊野三山」へと通じる参詣道である。真言宗の総本山である高野山、修験道の根本道場である大峰山、「日本人の心のふるさと」と称される伊勢神宮を結ぶルートでもある。中でも、最も険しいルートが「小辺路」だ。高野山と熊野三山の両霊場を最短距離で通る道で、紀伊半島を南北に縦断し、標高1,000m以上の峠を3度通過する。熊野三社を結ぶメインルート「中辺路」は、平安貴族も歩いたとされている。
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歴史
熊野周辺は日本書紀にも登場する自然崇拝の地であり、日本最大の霊場「熊野三山」を巡る熊野信仰が隆盛した。平安時代の皇族や貴族が歩き始めた道が1000年以上にわたり、武士や庶民へと引き継がれ、現代においてもなお、同じように歩くことができる。悠久の時の流れを感じる希少な場所であり、その価値はサンティアゴ巡礼道を除いて唯一、世界遺産に登録されている巡礼路であることからも分かる。
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自然
熊野古道と聞いて連想されるのが、大きなスギやヒノキの木々。冬でも葉が落ちない常緑樹で、年間を通じて古道を緑に覆ってくれる。古道のある一帯はかつて、紀伊国(きいのくに)と呼ばれていた。諸説あるが、降水量が多く森林に覆われていたことから「木国」が転じたとされている。 豊富な水を象徴するのが「那智の滝」だ。日本三大名瀑にも数えられ、落差は133m。豪快に流れ落ちる様子は圧巻のひと言である。
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熊野古道は1000年以上にわたり、あらゆる階層の人々を受け入れてきた巡礼路だ。日本の世界遺産として初めて登録された道でもある。 熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。奥深い自然に包まれた山々は仏教においても、阿弥陀如来や観音菩薩の「浄土」とされ、修行の場として栄えた。そうした背景のもとに、熊野三山が生まれ、参詣されるようになった。 皇室や貴族が参詣した古道は「蟻の熊野詣」と例えられたほどで、絶え間なく行列が続いていたという。その求心力ゆえに、各地から参詣する人々が数多くの参詣道をひらいてきた。 とりわけ有名なのは、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にも登録されている中辺路(なかへち)だろう。田辺から熊野本宮に至るこの道のりは、もっとも多くの参詣者が歩いたと言われている。日本史に名を残す後鳥羽院、藤原定家、和泉式部らも険しい道をたどり、熊野本宮を訪ねたとされ、上皇が歩いた「熊野御幸」では、公式参詣道(御幸道)になっていた。 当時は現代よりも山岳修行的な色合いが強く、水浴びをして心身を清め、祈りを捧げることで現世の不浄を清めていた。現在の稲葉根王子から滝尻王子にかけての区間を流れる富田川(岩田川)は聖域とされており、この川を何度も渡り、冷水を浴びて穢れを祓う「水垢離(みずごり)」が行われていた。川の両岸に社が置かれているのは、その名残りと言えよう。 滝尻王子に向かうもうひとつのルートが、険しい登り、下りを抜ける「潮見峠越」である。近世になってひらかれた道で、ところどころで目にする石畳や茶屋跡などが往時の歴史を今に伝えている。