英彦山巡礼路
日本
歩く距離・日数50km 4日間
基本情報
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特徴
福岡県田川郡添田町と大分県中津市の境にそびえる英彦山(標高1,199m)は、山形県の出羽三山・奈良県の大峰山と並ぶ日本三大修験の聖地。同山では、いにしえの時代より神仏が習合した独自の山岳信仰が守り継がれてきた。 周辺には縄文・弥生期の遺跡も多く見つかっていることから、その祈りの発露は紀元前にまで遡ると考えられる。一説には現在の英彦山神宮のもととなる社殿が創建されたのは3世紀〜4世紀。修験道の開祖である飛鳥時代の呪術者、役小角(えんのおづぬ)もこの地で修行を行ったと伝わる。 山頂は、北岳・中岳・南岳の三峰からなり、いずれの山頂部も平坦だが、周囲は迫力のある切り立った崖に囲まれている。緩やかな斜面からロープやクサリ付きの岩場まで変化に富んだ多様な登山を楽しめることから、九州一円のハイカーにも人気の山だ。
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歴史
大宰府政庁跡の鬼門(北東)に位置する宝満山と英彦山をつなぐ峰々は、古来より修験者たちが験力(げんりき)を得るための行場となっており、現在でも両山を渡り歩く峰入り行が行われている。 密教において智慧を象徴する金剛界を宝満山、慈悲を象徴する胎蔵界を英彦山になぞらえ、修験者たちは森羅万象の力を体内に取り入れ、生まれ変わるために峰々を歩き続けてきた。 修験道が隆盛を極めた江戸時代後半、英彦山では800軒の坊に3,000人の修験者が暮らしており、国内最大規模の修験集落が形成されていたという。英彦山神宮の参道には至る所にその集落の痕跡が見られ、現在も一般客が見学できる宿坊が存在する。
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自然
険しい山に分け入り、森羅万象と一体となることを旨とする修験の聖地であるため、その自然は今も変わらず豊かだ。 四季折々に千変万化の表情を見せる山だが、特に人気が高いのは6月上旬と10月下旬。前者はヒコサンヒメシャラ、ドウダンツツジ、オオヤマレンゲが同時に開花し、春の息吹を全身で感じることができる。後者は全山が見事に紅葉し、美しい錦繍の登山を楽しむことができる。また、木々が眠る冬には中岳の氷瀑が見どころだ。 樹齢1,200年を超える鬼スギに象徴される豊かな森は希少生物のすみかにもなっており、ヤマネやクマタカなどが生息している。タカは英彦山の霊鳥として、英彦山神宮の牛玉宝印(ごおうほういん)や社紋にもあしらわれている聖なる存在。往時の人々が自然の中に神を見出していたことが、うかがい知れる。
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英彦山における信仰の歴史は古く、太古の昔より北部九州一帯に恵みの水をもたらす「水分(みくまり)の山」として、そして太陽の恵みをもたらす「日の山」として崇め畏れられてきた。
英彦山神宮に祀られる祭神が日本神話の太陽神、天照大神(アマテラスオオミカミ)の御子・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)であることから、「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていたという史実からもその痕跡がうかがえる。
近年では頻発する自然災害により、登山道の荒廃・麓を走る鉄道の廃線などに見舞われていたが、現在は福岡県主導の「福岡県日田彦山線沿線地域振興計画」によって、YAMAP参画のもと登山道整備・森の復活が進んでいる。ここからは、一般登山者でも修験の文化を体験できる2つの登山道を紹介したい。
英彦山巡礼路のシンボルマーク
ひとつは「春峰ルート」。太宰府天満宮から宝満山に登り、英彦山へと至る50kmの行程だ。役小角が開いたとも伝わる道のりは、標高こそ1,000m前後とそう高くはないが、険しいアップダウンもあり、修験にふさわしい体験のできるトレイルである。
もうひとつが「お潮井とりルート」。福岡県行橋市の海岸・姥が懐から英彦山を目指す全長39kmの行程だ。ルート名の「お潮井とり」とは、英彦山神宮において平安時代から続く神事。修験者が英彦山神宮から姥が懐までを歩き、海に入って禊をした後に海水(お潮井)を汲んで持ち帰り、英彦山を清める儀式である。同ルートは、その神事を追体験できる設計となっている。
かつて峰入り行に臨む修験者たちは、穢れを避けるために動物性の食物を口にすることを禁じられていた。山中の岩屋に3カ月間に渡ってこもり続ける修験者もいたという。そうまでして彼らは森羅万象、そして自分の内面と対峙した。登山者が過酷な修行をそのまま体験することは難しいが、英彦山へと続く道には、死と対峙してまでも彼らが得ようとした「真理」が隠されていることは心に留めておきたい。
*登山道整備と並行して進められている森の復活についても英彦山を訪れる前に知っておいてほしい。度重なる自然災害や鹿の食害によって荒廃してしまった英彦山の頂上周辺に、登山者の力を借りながら木を植えていこうという取り組みが2022年からスタートしている。
将来的には、登山者が山頂にある上宮を詣でる際に苗木を持参し、植樹を行う風習をこの地に定着させていく予定だという。「山に詣でることが、山を守ることにもつながる」、和歌山県の熊野本宮大社や奈良県の吉野山でも古来より行われてきた信仰の形だ。
英彦山に伝わる祈りの文化は、過去から今へ、そして未来へと着実に受け継がれようとしている。